ハンデを背負った生き方 小児性もやもや病という病気
黒歴史と言うには少し重めの話。
もやもや病という病名を耳にした事がありますか?
参考までにWikipediaのページを貼っておきます。
→https://ja.m.wikipedia.org/wiki/もやもや病
僕は小学校1年生の頃、この病気だと診断されて手術を受けました。その頃の記憶は曖昧ですが結構大掛かりな手術で、親にはかなりの経済的精神的な負担を掛けたらしいです。
バイパス手術を受けた影響で頭には傷跡が残ってまして、小さい頃はそれを隠すように髪を長く伸ばしていました。
今では傷跡をファッションの一部にして厳つい髪型にしています。目指す所はEXILEのATSUSHI風ですが、いかんせん素材が素材なので残念な仕上がりになっています。
小児性もやもや病の主な症状と当時の環境
そもそももやもや病とは健康な人間の脳の血管が太く頑丈である事に対して、細く貧弱になっている状態の事です。
レントゲンで撮影するとまるで煙か靄のような血管が見える事からもやもや病と言われています。かつてはウィリス動脈輪閉塞症なんていう厳つい名前やったらしいですが、もやもや病が正式名称です。
僕の場合は、脳虚血による脱力発作や反復性の頭痛が主な症状でした。
脱力発作は主にラーメンなんかの吹き冷まし行為や、激しい運動などの過換気によって引き起こされます。ほぼほぼ毎朝頭痛に悩まされて、酷い時は立ち上がる事も出来ない状態でした。
例えば体育の時間にプールで泳いでいると立つ事も出来ず泣き喚いて、音楽の時間にリコーダーを吹いていて倒れたり、友達との些細な喧嘩も病気のハンデで先生に過保護なまでに守られる。
幼く軟弱だった体にかまけて僕は我儘で卑怯で情けない子供へ加速度的に成長していきます。
黒歴史が何を意味するか、それは僕の幼少期そのものであると今では思います。
ハンデを意識した瞬間、変化は突然に訪れる
小学生から中学生へと進学する頃、僕のもやもや病というハンデはほぼほぼ無くなっていきました。強いて言うなら反復性の頭痛が時々出るくらいのもので、脱力発作はあくまで自分1人で対処出来るレベルの所まで改善されました。
確固たる自分という一般世間の人間らしい自覚が芽生えてくると、しっぺ返しよろしく弱く甘えた過去の自分が人間関係に亀裂を生み出していきました。
幼少期は体が弱くて学校にもまともに行けませんでした。元来僕には学校というか社会というか、決められたレールの上を右倣え右で歩く事に嫌気がさしていました。
学校が嫌いやった。誰となく全てが煩わしくてルールを遵守して努めて平坦に生きる事が苦痛でした。
登校時間なんてものを守った事などなく、遅刻常習者で更におまけで校則も破りに破ってそれが当たり前になっていた感はあります。
ど田舎の学校で近くにあるコンビニが、山の麓から国道へ抜ける道にぽつりと一軒だけあるような場所です。僕はそんな場所で悪目立ちしまくって、少しずつ孤立していきました。
簡単な言葉で言ってしまえばいじめ、しかしそれは余りに身勝手で僕の独り善がりにも似ていた気がします。
怒りと憤りで僕は陰口を叩く連中の家まで乗り込んでは揉めに揉めました。いきなりインターホンを鳴らして出てきたかつての友達に食ってかかり、有無を言わさず殴り飛ばしたりも。
アホで純粋でどストレートで、僕はより一層孤立していきました。
学校中の全ての人間が敵であるように感じて、更に好き放題に暴れた記憶があります。
喧嘩に勝ったとしても、かつての友達は言います。病気やから本気で相手出来へん、と。
僕はこの時になって初めて、ハンデというものを如実に体感するのです。
環境が作り出したモンスターがその環境を全て丸ごと壊しに掛かります。
大事なものも無駄なものも、僕はありとあらゆるものを壊した後になって声を殺して泣いていました。
病気なんか関係ない
諸々の事情で新たな環境に巡り合い、僕はこれまでと違う人生を歩み出します。
そこでは僕がもやもや病である事も、弱く情けない甘えた過去の自分もいないのです。
僕を表す言葉にもやもや病という文字はなくなった瞬間、ハンデに守られる事もなくなりました。
我が道を征く。亮太らしい亮太が自分だけでなく周りからも認められるようになりました。
そこからチョイ悪ヤンキーへ突き進んで行く訳ですね。若さって怖い。
その辺の話は僕のイメージが悪くなるだけなので、こういった場では控えたいと思います。文字通りチョイ悪ぐらいのもんなんで、警察のお世話になるような事は一切していません。
こんな話をするとまるで悲劇の主人公気取ってるみたいな感じになりますが、あくまで笑い話のつもりです。
どうせ演じるなら主人公より悪の大魔王になりたいです。
と言うわけで、わたしの黒歴史は以上となります。
ほなまた