亮太 ryota のブログ

パン職人でありながらYouTubeに動画を投稿する変わり者の日々を綴るアーカイブ。

経験者が語る不登校の実態と変換点 普通という退屈との向き合い方

どうも、亮太です。

ブログを久し振りに更新しようと思いました。

 

そのきっかけが10歳の不登校小学生ユーチューバー、少年革命家ゆたぽんなる存在を知った事に起因してます。

 

正直この手の炎上ありきのユーチューバーに興味は全くないし、そのチャンネルの動画を見るつもりもありません。僕のTwitterのタイムラインにうつらうつら彼の情報が浮かび上がってて、どんな感じかをざっと理解してふとブログを書こうと思い立ちました。

 

以前の記事でも軽く紹介しましたが、僕も学生の時分は学生らしい学生生活を送っていないタイプの人間でした。

 

小学生の頃は小児性もやもや病の症状が頻繁に影響を与えて、肉体的にも精神的にも自分で自分が情けなくなるようなレベルの虚弱体質で惨めで見窄らしい子供でした。

学校に行かない事が多く行っても途中で早退するなんてザラで、周りの人間へ特別な対応をせなあかん面倒な人間と成り果てていた訳です。

まぁまぁヘビーな病気でもある小児性もやもや病ですが、小児性とあるように体が大人へと成長していく内に日々悩まされていた症状にも対抗出来るようになります。

 

前置きが長くなりましたが、ここから本題です。

 

不登校になるきっかけはほんの些細な出来事で小説みたいな起承転結はあんまりない

 

さてそんな幼少期を過ごした僕も中学生になる頃にはそういう子供らしいまでの弱さも薄れていきます。

反抗期真っ盛りの僕は学校に行く、ただそれだけの事でさえ鬱陶しくて気怠くて無意味な事に思えていました。

件のゆたぽんのように宿題が嫌とかそんな次元を超えて、ただ周りに流されて同じように当たり前を生きる事が鬱陶しかったんです(大人になった今思えば、そういう自分こそゆたぽんばりの痛さを持っていたように感じます)。

この時までの僕は不登校と言うより、学校休みがちな奴ぐらいの位置付けでした。遅刻常習犯とか色んなレッテルが周囲に異質感を与えていたんでしょうか。

誰に何をどう思われようが我が道を往く、そんな一匹狼を気取って軽く心に闇を抱えて生きていました。

 

その瞬間は突然訪れます。

学校に行かんグループのヤンキーと友達になるとそれは加速度的に僕の生活を変えました。そいつらと楽しく遊んでると、学校という物に何の魅力も感じなくなりました。

法に触れるような事はしてませんが、それでも世俗の一般常識からかけ離れたアウトロー的な存在になっていたと自称出来るぐらいに痛い感じになってました。

 

f:id:boulangerie-chatnoir:20190510054234j:image

 

深夜徘徊で目的も特になく移ろって、警察に何度も何度も補導されては不毛な押し問答を繰り返す日々。朝になって普通の学生が学校へ向かう頃には誰ぞの家で深い眠りに落ちて、夕方になると再び活動を始めていました。

その当時こそ、それが自由や何やと宣って勘違いしていました。今となっては具体的に何がどう楽しかったのかはあまり思い出せません。漠然と楽しかったり意味不明な優越感を感じたりり、その頃の僕はとっくに頭のおかしいアホであった事は確定的ですね。

 

学校に行かない選択を自分でして、それが転換した時の話

 

このままだらだら大人になっていくのかとか漠然とでも考えていたようないなかったような。

反抗期ばりばりで母親とは険悪な関係で顔を合わせばすぐに怒鳴り合いの喧嘩になっていた僕がある日、いつものように口喧嘩をしていると何からそういう話題になったのかまでは思っていませんがこんなセリフが記憶にあります。

 

「高校にも行かれへんような奴が偉そうな事言うな」

 

母親からこう言われた僕は、すぐさま反抗的に言い返します。売り言葉に買い言葉、水掛け論に意地の張り合い。

 

「高校ぐらい余裕で合格出来るわ、よう見とけよこら」

 

10代ってそういうお年頃ですよね。反骨精神と焦らしさで出来た小っ恥ずかしい生き物です。

 

良くも悪くも、僕はその諍いにけじめをつける為に久し振りに学校へ向かいます。気合いを体で表す為に髪の毛を金髪に染めて行きました(速攻で教師に追い出されたのは想定通りです)。

 

後日改めて当時の担任に、高校行くにはどうしたらええかを聞いた僕はこう言われます。これは割とはっきり覚えてます。

 

「毎日学校に来て授業を受けろ、テストで点数を出せば成績を付けれる。それ次第で高校でもなんでも行けるようになる」

 

へぇそうなんや、と。じゃあ頑張るわ、と。軽く話を聞いていた自分を何となく覚えています。

こうして僕の不登校は終わりを迎える訳です。

その後勿論高校へ行きましたし、そこから専門学校へ進学・卒業し現在はパン職人として日夜精神と肉体を擦り減らしながら働いております。

 

不登校を経験したからこそ思うゆたぽんの危うさと時代の流れ

 

僕個人としてはゆたぽんが今後どういう人生を送ろうが一向に興味もありませんし、何をおいて幸福か不幸かは人それぞれですよ。僕が心配しようとしまいと勝手に大人になってそうやぅて最後は僕の知らん所で人生を終えるでしょう。彼に限った話やないし、誰にとってもそれこそ自分の人生においても他人からすればそうなる訳です。

 

不登校があかん事やとか、社会不適合者で苦労するとか。正義感振り翳した無責任な大人の一般論とか常識論に彼がどう向き合っていけるのかは未知数です。

宿題やりたくないだけの奴が何をどう革命していくのか?

自由を求めて戦いを挑もうとする姿勢は見せつつも、やっている事は逃げ一択なのが微妙ですね。お題目並べて大義名分だけはもっともらしく語っているようですが、彼がもう少し成長した時に恥ずかしくて家の近所も歩けなくなるレベルで頭の痛い行動理念ではないでしょうか?

 

実際に経験した僕やから分かるのは、不満や疑問を乗り越えたり正したいのであれば逃げるだけでは何も意味を成さないという事です。

 

僕の場合はそれこそ単純に面倒臭かったり気怠かったり鬱陶しかったりが原因なので、何かを変えたいという信念とか偽善とか何もありませんでした。

自分は自分、他人は他人。それ以上に普通を強要されたくなかっただけで、母親の口車もしくは煽り文句に上手い事乗せられる形で反発の意味で学校へ足を運ぶ事になります。

結果オーライと気楽には言えませんが、人生やり直したくなる程後悔もしていません。

 

終わりに

 

ふと思い立って、つらつらと思い付くままに書き殴りました。

どう話を纏めようか決めずにここまで書いて、今ようやく落ち着くポイントを見つけました。

 

不登校を経験した自分は決して間違ってもなければ正しくもなかった。

そう思います。

自分の中にある退屈な心を学校ではどうにも拭えなかったから少しの間距離を置いた、その決断に誰も咎める筋合いはないと思います。

 

もし仮に人生がやり直せる可塑性を持っているとしたら、10代の頃の粗暴で闇を抱えていた自分に優しく声をかけてあげたい。

 

権利を主張するには義務を尊重せなあかんってのが一般常識として、それから外れたらもうダメ人間で不幸になるってのは個人的な偏見やと思います。

自分の人生は自分で責任さえ取れば何を主張しても行動してもええ筈です。勿論法に則って他人に迷惑を掛けない事が前提にはなります。

 

ゆたぽんが革命を起こすかどうかはまだ未知数ですが、革命したその先で彼が何をどう思った所で過去は変えようがないものです。

 

ただ周りに流されるのではなく、自分の人生は自分で選択する。それが生きていく上で必要最低限な事やと僕は思います。

 

ほなまた