亮太 ryota のブログ

パン職人でありながらYouTubeに動画を投稿する変わり者の日々を綴るアーカイブ。

人生って不思議なものですね

僕が1人暮らしを始めたのは18歳の春。家賃35000円の6畳ワンルームが僕の城でした。

 

就職や進学を機に1人暮らしを始めるのが一般世間を生きる人達の道のりやとは思いますが、僕の場合は少しだけ意味合いが違っていました。

10代って何かと反抗的な時期で僕もその例に違わずチョイ悪ヤンキーな子供だったんです。少し訳ありの家庭に育ち、普通なら経験しないような経験を色々した挙句母親と仲違いして家を飛び出したのが17歳の秋でした。

当時付き合っていた彼女の家に転がり込み気持ちばかりの生活費をバイト代で賄いながら半年間程お世話になり、専門学校への入学を迎えるタイミングで1人暮らしを始めました。

世間知らずで後先考えないアホ丸出しな人間にとって1人暮らしは楽しい事以上にしんどい事の積み重ねでした。

学費は奨学金でバイト代は飲食代に費やしましたが、極貧の生活でした。食事だけは豪勢でありたいという信条があるのでそこに手を抜く事ないようにバイト漬けの日々です。

 

1人での生活に慣れてくると物の見方が少しずつ変わってきます。人間1人が生きるのにさえ多くの苦労が必要で気楽に出来るような事ではないんです。その当時の僕はそれを体で理解しながらも断固それを口にしませんでした。若過ぎたんです。アホやったんです。

 

親の有り難み。生きる為の金を稼ぐ労働だけでは到底辿り着けない至上の施しを、僕は小さい頃から家を飛び出すその瞬間まで知りもせず受け取っていたんです。

 

自分にそれと同じ事が出来るのか。それを思うと今でも悩んでしまうぐらいの難しさやと思います。

素直に自分を見つめ直せない日々は唐突に終わります。20歳になる少し前、僕は母親に電話をして飲食店で約2年振りの再会を果たします。

今までの愚行と非礼を詫びて頭を下げました。チョイ悪ヤンキーの子供のままだった自分が驚く程素直に気持ちを伝えていたと思います。

 

25歳になった今は定期的に飲みに行ったりと関係は良好です。一般世間を生きる人達からすればマザコン扱いされる時もありますが、口を開けば怒鳴り合いの喧嘩になっていた劣悪な関係性を知っている人にとってはようやく普通になったという感じでしょうか。

 

僕にとっての自立は、母親に心から詫びた時から始まったと思います。

仕事をしながら生活を営み日々を生きる、人生って不思議なものですね。

 

どんな生き方をしていても、どこでどうなるかは分からないもんです。

 

ちなみに今は3LDKの一軒家に1人で住んでます。寂しいですが広いキッチンとセパレートタイプの風呂トイレには大満足しております。早く嫁を見つけて子供も欲しいなと思ってますが出会いがありません。